浜ちゃんストーリー

#1 コロナが教えてくれたもの
 2022年8月13日

時は2020年の10月。

 

新型コロナの第二波が過ぎ、世の中はGOTOキャンペーンに浮かれ、まるで「魔の疫病の波は完全に過ぎ去った」とでもいうかのような熱気に包まれていた(ご存知のよう、その後何度もこの波はやって来る)。

 

僕自身もまた穏やかな秋の空気を感じていた。

空は晴れわたり、優しい風が頬を撫でた。

 

それはなんとも懐かしい感覚だった。

この年の三月に初めての緊急事態宣言が出てからこれまで「季節」という感覚が僕の中からすっぽりと抜け落ちていたからだ。

それは日常的にサーフィンというものを趣味とする僕にとってビーチが閉鎖されたり、サーフィンそのものが悪者扱いされたりといったことが大きく影響していた。

それだけではない。

今思えば完全に感覚が狂っていたのだ。

世の中も、そしてこの僕も。

 

ただ、そんな捉えどころのないコロナ禍での日々の中、ひとつ心に決めていたことがあった。

 

「自分の店を開業する」

 

状況を踏まえるとそれはあまりにもこの時代の流れを無視した決意である。将来的に飲食業そのものがビジネスとして存続して行けるかどうかさえも危うい。

それでも、この状況が訪れたからこそ見えてくる自分の中の核心というものがある。

 

「自分の店を持て」

 

何度も何度も、僕が僕に言う。

 

「これ以上、待っていても無駄だ」

とささやく。

 

そして次第にその声を自分の内側だけに留めておくことができなくなっていた。

 

 

僕はその頃47歳。

妻、長男(18歳).次男(8歳)、長女(3歳)といった家族に恵まれながら、宮崎市内の老舗ホテルにあるレストランで料理長としての仕事をし、コロナ前のことを言えば随分と華やかな活躍をさせてもらっていた。


ただいつも心の中には何かをやり残しているような感覚があった。

 

そう、「自分の店を持つ」と心に決めてこの世界に入ったのはもう30年近く前のこと。

その思いは年を重ねるごとに強い思いへと変わり、はっきりと輪郭を持つようになっていた。

だか僕は自分にいろんな言い訳をしてその思いを伏せ続けていた。

 

つまりは怖かったのだ。

いろんなものを手に入れれば入れるほど夢を追うことがとても危険で怖いことのように感じるようになっていた。

 

けれど、

それは妄想というもの。

 

未来のことなど誰にもわかりはしない

 

良いことも、悪いことも

 

たった今のことだって本当かどうかもさだかではない

 

わかりもしないことを怖がるのはもうよそう

 

生きたいように生きるのだ

 

そうすることでしか本当の今はつかめない

 

それはコロナ禍というものが僕に教えてくれたこと。

 

 

#2 古民家との出会い
 2022年8月13日

2020年 10月。

ある日の午後。

 

秋の風に吹かれながら住み慣れた町を自転車でゆく。

いつもは気にもしない風景が今日はなぜか眩しい。

 

普段から通りかかっていたはずの建物の前。

シャッターは閉じたまま。

自転車を降り、その全体を見わたした。

 

木造、しかもかなり古い。

錆びたシルバーのトタン板が屋根の一部を覆っている様が、以前は商店だったことを思わせる。

 

「ここでできるかも」

 

直感だった。

 


 

 その時、僕の背中に話しかける声。

 

「ここに興味がありますか?」

 

その老婆はこの建物の大家さんだった。

 

「近い将来、飲食店を開きたいと思っていて」

 

と、僕が自分の名刺を手渡すと、

彼女は満面の笑みを見せ

「あなたのレストランにはよく友人と行きましたよ。今はコロナで、あれだけど。とてもファンでした。」

 

「あなたにならいつでもここを貸しますよ。家賃なら店が開いたその日からで結構です。それまで好きなようにいじりなさい。」

 

 

 

奇跡的。

そんな風に人は言うかもしれない。


けれど、きっとこれは

強い思いが言葉を生み、言葉がここに形をつくったんだ。


本来奇跡とは、そういう単純なものだったはず。



自分の店を持つ、と心に決めた若き日のあのシンプルな心をこの時僕は取り戻したようだ。

 

 

2022年、秋。この古民家が僕の店として生まれ変わる。

  

 

 


乞うご期待!